2007年12月03日

日本、北京行き切符に王手=韓国を4−3で破る−野球五輪予選

 【台中(台湾)2日時事】野球の北京五輪予選を兼ねたアジア選手権は2日、当地の洲際野球場で決勝リーグの2試合を行い、日本は韓国を4−3で破って2連勝し、五輪出場に王手をかけた。



 日本は先発の成瀬(ロッテ)が1回にソロ本塁打を浴びたが、打線が素早く反撃。2回にサブロー(ロッテ)の適時打などで2−1と逆転。3回は阿部(巨人)、8回には稲葉(日本ハム)が貴重な適時打を放ち、リードを保った。



 継投策も決まり、成瀬が2点目を失った4回途中から川上(中日)を投入。6回途中から投げた岩瀬(中日)は8回に犠飛で1点を与えたが、9回は上原(巨人)が締めて逃げ切った。



 台湾はフィリピンに9−0で大勝して1勝1敗。日本は3日の最終戦で台湾と対戦する。 



引用:時事通信社


◆◆◆目次◆◆◆

* 1 野球日本代表の歴史
o 1.1 創成期
o 1.2 オリンピック出場
o 1.3 プロ選手参加へ
o 1.4 ワールド・ベースボール・クラシック優勝
* 2 オリンピックにおける代表チーム
o 2.1 成績
* 3 ワールド・ベースボール・クラシックにおける代表チーム
o 3.1 成績
* 4 近年行われたその他の国際大会における成績と代表チーム
o 4.1 アジアにおける大会
o 4.2 国際野球連盟(IBAF)主催の大会
o 4.3 その他の国際大会
* 5 年代別日本代表/国際大会
o 5.1 世界大学野球選手権大会
o 5.2 AAA世界野球選手権大会  AAAアジア野球選手権大会(U-18代表)
o 5.3 AA世界野球選手権大会(U-15代表)
o 5.4 IBAF女子野球ワールドカップ(女子代表)
* 6 日本選抜
* 7 チーム名称
* 8 関連項目
* 9 外部リンク

◆◆◆野球日本代表の歴史◆◆◆

◆創成期

日本の野球界はプロとアマの対立が有名だが、アマでも学生と社会人は決して一枚岩ではなかった。 昭和29年(1954年)、アジア野球選手権開催にあたり、アマチュア球界で代表チーム編成のため、 日本学生野球協会と日本社会人野球協会(現日本野球連盟=JABA)が共同で「日本アマチュア野球協会」を結成する。ここから代表チームが編成される。これが野球日本代表の最初と言える。(それまでの大学選抜、職業野球選抜は「代表」とは言い難い。)「日本アマチュア野球協会」からアジア野球選手権に6回代表チームを送りこむ(社会人3回、学生2回、混合1回)。しかし「日本アマチュア野球協会」を、日本バレーボール協会や日本サッカー協会のようなアマチュア野球の統括組織にしようとする動きに日本学生野球協会が反発。1966年学生協会が脱退。アマチュア協会は空中分解し解散した。

◆オリンピック出場

学生側と社会人側の対立で日本アマチュア野球協会は解散したが、国際試合に代表を送りこむための組織は必要だった。そのためよりゆるやかなアマチュア球界組織として、両協会の付属機関として1967年「日本アマチュア野球国際委員会」を設立する。この委員会のもと、1972年世界選手権初出場、 1973年インターコンチネンタルカップに出場し優勝、1980年世界選手権日本開催、1987年アジア野球選手権日本開催、公開競技として1984年のロサンゼルスオリンピック、1988年のソウルオリンピックの両五輪に代表チームを送りこみ、1984年は金メダルを獲得した。

それまで、野球の代表組織として日本体育協会(体協)、国際野球連盟に加盟していたのは日本社会人野球協会だった。日本学生野球協会は「本協会ではこれまでの国際大会参加の実績からして国際野球連盟やアジア野球連盟に加盟しているものと認識していましたが実際には加盟の手続きがおこなわれていませんでした。」(公式サイトより)と当事者意識が欠如していた。バルセロナオリンピックから野球が正式競技になることにより、国際野球連盟にアマチュア球界で統合して加盟する必要が出てきた。このため「アマチュア野球国際委員会」を発展的解消し、日本学生野球協会と日本野球連盟(旧日本社会人野球協会)の上部組織でない「屋上屋」の組織として1990年「全日本アマチュア野球連盟」(BFJ)を結成し、この組織が国際野球連盟、アジア野球連盟、日本オリンピック委員会(JOC)に加盟する。以後、野球日本代表チームはこのBFJが編成することになるが、BFJは法人格を持たず、所在地も日本野球連盟と同じ場所で強力な組織とは言いがたかった。 ※ちなみに日本野球連盟(JABA)の英語表記が「Japan Amateur Baseball Asociation」(直訳すると日本アマチュア野球協会)、全日本アマチュア野球連盟(BFJ)の英語表記が「Baseball Federation of Japan」(直訳すると日本野球連盟)

◆プロ選手参加へ

ところで、日本の野球界には日本サッカー協会のような競技統括団体が存在せず、国際大会にはアマチュアのみが参加していた。しかし国際野球連盟は、1998年から国際大会へのプロの参加を認めた。1998年のバンコクアジア競技大会野球競技(アジア大会は1990年のソウル大会から野球が公開競技、1994年広島大会から正式競技)には韓国代表はオールプロで挑み(その中にはメジャーリーガーのパク・チャンホもいた)、圧倒的強さで優勝した。日本でももはやプロが参加しない限り2000年のシドニーオリンピックは出場できないと言う考えで固まり、1999年の五輪予選にはBFJがプロ側に要請すると言う形でプロ野球選手の初の国際大会出場が実現する。(この時プロ側にも五輪参加の方針でセントラル・リーグ、パシフィック・リーグ、各球団で温度差があった)。ヤクルト・古田敦也らの活躍でアジア予選を突破するも、(出場権を得た後の)韓国戦では、韓国がオールプロと言うこともありまたしても敗れた。2000年シドニー五輪本選も、プロアマ混合と言う中途半端な体制で臨み、その結果メダルをかけた3位決定戦でまたしてもオールプロの韓国に敗れ、日本はロサンゼルス五輪以来初めてメダルを逃がすこととなった。

もはや中途半端な編成で挑む限りメダル獲得不能と判断した日本は、2004年アテネオリンピックはオールプロで臨むことを決定する。この代表を編成するのはBFJではなく全日本野球会議である。前述の通り、日本の野球界には球界全体を統括する組織がない。プロ、社会人、学生がみなバラバラに組織されている。 これらの団体の統括組織でなく、全団体の話し合う場として「全日本野球会議」が1994年結成される。そして2001年に台湾でのワールドカップからこの全日本野球会議が日本代表チームを送り出す元となった。2003年アテネ五輪予選はメジャーリーガーを除くオールプロの、初めて真の意味での「最強」日本代表チーム(監督:長嶋茂雄)が結成された。その結果優勝で予選を通過した。しかし翌2004年のアテネ五輪本選では、「各球団2名」と言う中途半端な編成で、オールプロでありながら銅メダルに終った。しかし野球の日本代表チームが(バレー代表やサッカー代表のように)商業ベースに考えられたのはこの時が初めてであった。

◆ワールド・ベースボール・クラシック優勝

2005年5月、アメリカ・メジャーリーグベースボール機構(MLB機構)が野球の国際大会ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催を発表する。国際野球連盟(IBAF)のプロ解禁後も、MLB機構は国際大会への参加を認めていなかった。このWBCで、真の意味での世界一を決しようと言うのである。IBAFのアンチドーピング規定をMLBが飲むと言う条件で、WBCはIBAF主催ではないが公認の世界大会と位置付けられた。そして16の国・地域招待と言う形で2006年3月に開催された。当初、MLBの独善的な運営、3月と言う開催時期への疑問から参加に難色を示した日本も最終的には参加を決定した。王貞治監督のもと代表チームを編成し、MLBからも2名(イチロー、大塚晶則)参加したが、松井秀喜は辞退、当初メンバーだった井口資仁も辞退した。それでも王監督率いる日本代表チームは1次リーグ、2次リーグを突破し、準決勝ではそれまで2度敗れた韓国に勝利し、アメリカ・サンディエゴでの決勝ではキューバを破り、日本が初代「世界一」の座に就いた。皮肉にもMLB機構の思惑とは裏腹にMLB選手2名の日本と、一人もいないキューバとの決勝戦となったのである。一部MLB選手が辞退したとは言え、この代表チームが日本人なら誰でも選ばれる本当の意味での初の代表チームと言えよう。

しかし、このWBC日本代表を送りこんだ組織は全日本野球会議ではなく、日本野球機構(プロ)であった。その意味ではこのチームが「日本代表」とは言い切れない余地も残してしまったかもしれない。送り込む組織の主体が違うため(事実、全日本野球会議のホームページ上にWBC日本代表の記述は一切無い)、アテネ五輪代表チームとWBC日本代表チームの間には引き継ぎ連絡が一切なかったとアテネ五輪代表コーチの高木豊は証言している。

◆オリンピックにおける代表チーム

オリンピックの野球日本代表は、1984年のロサンゼルスオリンピック(公開競技)から1996年アトランタオリンピックまでは、アマチュア選手のみのチーム編成であった。プロ選手の参加が認められた2000年シドニーオリンピックでは、アマチュア主体のメンバーに松坂大輔ら、プロ8人を参加させた混成チームで出場したが、初めてメダルを逃した。2004年アテネオリンピックでは、初めてプロ野球選手だけでチーム編成を行い、銅メダルを獲得した。チームへの選出には日本国籍を有する事が条件となっている。

なお、2005年7月のIOC総会で、ロンドン大会では削除されることが決定したため、今のところ北京が最後のオリンピックとなる。

◆成績

* ロサンゼルスオリンピック(1984年) - 金メダル(公開競技)
o ロサンゼルスオリンピック野球日本代表
* ソウルオリンピック(1988年) - 銀メダル(公開競技)
o ソウルオリンピック野球日本代表
* バルセロナオリンピック(1992年) - 銅メダル
o バルセロナオリンピック野球日本代表
* アトランタオリンピック(1996年) - 銀メダル
o アトランタオリンピック野球日本代表
* シドニーオリンピック(2000年) - 4位
o シドニーオリンピック野球日本代表   
* アテネオリンピック(2004年) - 銅メダル
o アテネオリンピック野球日本代表

◆ワールド・ベースボール・クラシックにおける代表チーム

ワールド・ベースボール・クラシックでは各国の代表入りに関する条件が

* 当該国の国籍を有する
* 当該国の永住資格を有する
* 当該国で生まれた
* 本人の親のどちらかが当該国の国籍を有する
* 本人の親のどちらかが当該国で生まれた

の5条件の内の何れか一つ以上を満たす事となっている。

◆成績

* 第1回(2006年) - 優勝
o 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

◆近年行われたその他の国際大会における成績と代表チーム

※はプロが参加した代表チーム。

◆アジアにおける大会

* 第12回アジア競技大会(1994年) - 金メダル
* 第13回アジア競技大会(1998年) - 銀メダル
* 第20回アジア野球選手権大会・シドニーオリンピック予選(1999年) - 銀メダル
o シドニーオリンピック野球日本代表※
* 第21回アジア野球選手権大会(2001年) - 金メダル
o 第21回アジア野球選手権大会日本代表
* 第14回アジア競技大会(2002年) - 銅メダル
o 第14回アジア競技大会野球日本代表※
* 第22回アジア野球選手権大会・アテネオリンピック予選(2003年) - 金メダル
o アテネオリンピック野球日本代表※
* 第23回アジア野球選手権大会(2005年) - 金メダル
o 第23回アジア野球選手権大会日本代表
* 第15回アジア競技大会(2006年) - 銀メダル
o 第15回アジア競技大会野球日本代表
* 第24回アジア野球選手権大会・北京オリンピック予選(2007年)
o 第24回アジア野球選手権大会日本代表※

◆国際野球連盟(IBAF)主催の大会

* 第14回IBAFインターコンチネンタルカップ(1999年) - 3位
o 第14回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表※
* 第34回IBAFワールドカップ(2001年) - 4位
o 第34回IBAFワールドカップ日本代表※
* 第15回IBAFインターコンチネンタルカップ(2002年) - 5位
o 第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表※
* 第35回IBAFワールドカップ(2003年) - 銅メダル
o 第35回IBAFワールドカップ日本代表
* 第36回IBAFワールドカップ(2005年) - 5位
o 第36回IBAFワールドカップ日本代表
* 第16回IBAFインターコンチネンタルカップ(2006年) - 4位
o 第16回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表
* 第37回IBAFワールドカップ(2007年) - 銅メダル
o 第37回IBAFワールドカップ日本代表

◆その他の国際大会

* 第22回ハーレムベースボールウィーク(2004年) - 3位
o 第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表
* 第23回ハーレムベースボールウィーク(2006年) - 4位
o 第23回ハーレムベースボールウィーク日本代表
* 北京プレオリンピック(2007年) - 金メダル
o 北京プレオリンピック野球日本代表※

◆年代別日本代表/国際大会

どの団体球技も、世界選手権や五輪等に送りこむ「最強」の代表チーム以外に、選手資格に年齢制限がある大会に送りこむ年代別代表チームが存在する。しかしながら代表チームの概念が曖昧だった日本の野球界にはそのような年代別代表チームを編成することがほとんどなかった。野球も各年代ごとの国際大会は行われており、日本からも参加している。だがこれらのチームは全日本野球会議や全日本アマチュア野球連盟が編成する正式な代表チームでなく、全日本大学野球連盟や日本高等学校野球連盟が送りこむ選抜チームであるのがほとんどであった。

他の競技が年代別の代表チームを定期的に召集し強化を行い、またラグビーの桜、サッカーの青のようにフル代表と同じユニフォームを各年代が着て試合をすることで「日本」としての誇り・一体感も生まれているのに比べ、野球界はそう言った年代別の強化活動が著しく遅れていた。

ここに来て、ようやく野球も各年代ごとの代表整備に力を入れ始め、まず大学年代(U-22年代)が、2002年世界大学野球選手権大会の参加チームを全日本野球会議の代表事業に認定。2006年第2回IBAF女子野球ワールドカップから女子代表が、2007年第13回AA世界野球選手権大会(中止)からU-15代表が、同年第7回AAAアジア野球選手権からU-18代表が、それぞれ全日本野球会議の代表事業に認定され、正式な代表チームとなった。なおこれらのチームは、オリンピックでプロが着用するものと同じタイプのユニフォームを使用している。野球も今後、各年代ごとの代表チームを常時召集し、強化していくことが望まれている。

◆世界大学野球選手権大会

大学生による競技大会としてはユニバーシアードがあるが、野球は普及度の低さから含まれなかった。そこで国際野球連盟(IBAF)は2002年から国別対抗の大学生による世界大学野球選手権大会を開催することとなった。この大会にチームを送りこんだのは、全日本大学野球連盟でなく全日本野球会議である。第1回大会当時の代表編成委員会の強化本部長は長嶋茂雄が務めた。ユニフォームも台湾ワールドカップやアテネ五輪でプロが着用したものと同じである。そう言った意味でこのチームが日本野球界初めての年代別日本代表と言える。ちなみに同大会の参加資格に大学生であると言う条件はない。規約上は同年代のプロ、社会人も選考可能ではある。なお、1972年から毎年開催されている日米大学野球選手権大会は、全日本大学野球連盟から送りこまれる大学選抜チームであり日本代表ではない。

◆AAA世界野球選手権大会  AAAアジア野球選手権大会(U-18代表)

AAA世界野球選手権大会は国際野球連盟(IBAF)主催で1981年から行われている18歳以下で競われる国際大会。日本は夏の甲子園大会・全国高等学校野球選手権大会と時期が重なるため近年までチームを送ってこなかった。2004年大会は9月開催となったため初めて甲子園参加者も含めた選抜チームを参加させた。AAAアジア野球選手権は1994年が第1回。こちらは9月開催なので毎回参加している。近年は世界選手権とアジア選手権が隔年開催で、アジア選手権が世界選手権の予選を兼ねている。このチームは全日本野球会議が送りこむ日本代表でなく、日韓親善大会や日米親善大会と同じあくまで高野連が編成する「高校選抜」であった。2007年の第7回アジアAAA選手権では金属バット使用が禁止されたたため、高野連はチーム派遣を拒否。このため日本野球連盟は傘下の企業(早生まれの1年目)、クラブ、専門学校の選手から代表を選考し、同大会に送り込むこととなった。このチームは全日本野球会議から代表事業として認定され、同大会に参加する初めての正式なU-18代表となった。この大会も高校生であることが参加資格でなく、早生まれのプロ、社会人、大学1年目の選手も参加可能である。高野連に限定しないオールジャパンの18歳以下代表候補を定期的に召集し合宿を行い、この年代の強化に当てることが望まれている。

◆AA世界野球選手権大会(U-15代表)

AA世界野球選手権大会は国際野球連盟(IBAF)主催の16歳以下で競われる国際大会。2005年、メキシコで第12回大会が開かれ日本は4位に入っている。この大会のチームを送っているのはリトルシニア。中学年代の硬式野球チームは、学校チームは存在せずクラブチームのみ。老舗のリトルシニア、ボーイズリーグほか7つの連盟が混在する。これら7つの連盟が一堂に会し競い合う大会は、毎年8月に東京で開かれるジャイアンツカップのみである。このAA世界選手権参加チームも、オールジャパンの代表チームでなくリトルシニアの選抜チームである。ジャイアンツカップが正式な全日本選手権に承認されたのを期に、7連盟すべてから選出された代表チームが編成され、11月に台湾代表との親善試合が計画されている。なお、2007年ベネズエラで開催のAA世界選手権(中止)から、リトルシニア単独の選抜チームながら、全日本野球会議の代表事業に認定され、正式な15歳以下の日本代表チームとなった。

◆IBAF女子野球ワールドカップ(女子代表)

(野球日本女子代表も参照)
女子硬式野球の全日本チームが初めて結成されたのは1999年、フロリダで行われた春季全米大会参加のためである。この時の派遣元として組織されたのが「全日本女子硬式野球チーム実行委員会」である。まだ法人格を持たない任意団体であった。チームには大塚製薬がスポンサーに付き、「チームエネルゲン」と命名された。以降定期的に選考を行いチームを強化していくが、このチームが公的団体で組織された「代表チーム」でなく、実体としてはクラブチームと同じため、選考に合格した大学野球部所属の選手の参加は二重登録に当たると日本学生野球協会に拒絶される。このため同実行委員会は全日本女子を公的に真の代表チームと認めさせるべく、日本野球連盟加盟を目指し2002年「日本女子野球協会」と改組し、大学野球部からの参加も認められるようになった。2003年に法人格取得、2004年日本野球連盟加盟が承認され全日本野球会議構成団体となり、2006年女子野球日本代表が全日本野球会議の代表派遣事業として承認され、晴れて正式な代表チームとなった。国際的には2001年に国際女子野球連盟が発足、2004年には国際野球連盟(IBAF)主催の IBAF女子野球ワールドカップ(第1回大会)が開催され、女子野球日本代表は準優勝した。2006年には第2回大会が台湾で開催され、女子野球日本代表も初めてアテネ五輪代表と同じユニフォームを着用して参加している。

◆日本選抜

日本代表が練習試合を行う際に、代表に選ばれていないプロ野球選手を集めて構成されるチームのことを言う。 12球団選抜など名称は様々。

◆チーム名称

本チームの名称は「野球日本代表」だが、2000年のシドニー五輪までは「全日本」と名乗っていた。それ以降はオフィシャルサイト等の公式な発表では、過去に遡って全て「野球日本代表」との表記で統一されている。名称の変更理由、変更事実は説明されていない。近年の「野球日本代表」と過去の「全日本」は同一のものである。

引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
posted by Happy at 00:19| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする